博物館 明治村 2023/12/14 [お出かけ]
京都市電と北里研究所本館
この日は久しぶりに愛知県犬山市にある明治村へ出かけてきました。
「公益財団法人 明治村」
明治時代(一部大正時代)の建築物を全国から移築し保存展示する野外博物館で、展示されている建物は国重要文化財を含め貴重なものばかりです。失われてしまえば二度と再現できない昔の建築物を、実際に見て触れる事ができる貴重な空間で、その存在価値は計り知れません。そしてこの博物館が国ではなく民間で立ち上げられたことに拍手です。
建築物に限らず、明治時代の蒸気機関車と路面電車を実際に走らせているところがまた素晴らしい。写真は転車台と蒸気機関車12号。
「公益財団法人 明治村」
明治時代(一部大正時代)の建築物を全国から移築し保存展示する野外博物館で、展示されている建物は国重要文化財を含め貴重なものばかりです。失われてしまえば二度と再現できない昔の建築物を、実際に見て触れる事ができる貴重な空間で、その存在価値は計り知れません。そしてこの博物館が国ではなく民間で立ち上げられたことに拍手です。
建築物に限らず、明治時代の蒸気機関車と路面電車を実際に走らせているところがまた素晴らしい。写真は転車台と蒸気機関車12号。
近岡善次郎氏による明治時代建築物水彩画「秋田営林署」の写真。SL東京駅から明治村5丁目エリアへ続く歩道壁面に展示されていました。
まずは蒸気機関車に乗って名古屋駅へ
客車もまた明治時代のもの。照明は一切無いですが天井にある明かり取りで暗くならないように配慮されています。
名古屋駅で下車。12号車は1874年にイギリスから輸入され、当時新橋~横浜間を走っていたとのことで、動態保存されている蒸気機関車の中では日本最古(令和5年で149歳)だそうです。この機関車はオーバーホールを済ませ今年春に復帰したばかり。
名古屋駅で「京都市電」に乗り換え品川燈台駅へ向かいます。京都市電は明治時代に日本で初めて開業した路面電車。琵琶湖疎水で水力発電が始まったこと、博覧会の誘致が京都に決まったことが開業の起爆剤となったそうです。
折り返し運転の準備でトロリーポールを180度を回転させているところ。
車両の前後に運転台が設けられています。左のボックスから出ているハンドルがマスターコントロール(速度制御用)。右はブレーキハンドルでコーナーの前後で運転士さんがグルグル回していました。
床にベルの足踏みスイッチがあり、”チンチン”と鳴る音が何とも良い味わいを醸していました。
幕末から明治にかけて外国と交わした条約に燈台の設置が盛り込まれたため、フランス人技術者によって東京湾の4ヶ所に設置された内のひとつが「品川燈台」だそうです。
「菅島燈台附属官舎」内に展示されていた光源は昭和2年に設置された神島灯台のもの。水銀の浮力でレンズ台を浮かせ、人力で巻き上げた分銅の重力を利用して回転させていたそうです。
「芝川又右衛門邸」大坂の豪商の別荘で、所有する果樹園(甲東園)内に建てられていたそうです。阪神淡路大震災で被災したのがきっかけで寄贈・移築されたもので2007年に公開されました。和洋折衷の建築ですが和風要素が多く、当初オーナーは不満げだったそうです。離れの和館が建築された際にスパニッシュ洋式に仕上げ直されたとのことです。
建物の両側に煙突が立っていて1・2階共に暖炉が使える設計。2階の和室は押し入れの引き戸を明けると暖炉が現れる(写真は1階のもの)
2階から木曽御嶽山
ボランティアガイドさんによる説明を受けながら建物内を巡りました。
「森鴎外・夏目漱石住宅」2人の小説家が相次いで借家住まいしていたという建物。「我が輩は猫である」もここで執筆されたそうです。
「聖ヨハネ教会堂」明治に入ってキリスト教の禁止令が解かれると各地に教会が建てられたそうで、この教会も京都川原町通に建てられていたもの。正面の2つの尖塔がアクセント、高台にあるため村外からも良く目立ち絵になる建物です。
12月なので入口にはクリスマス飾り
ドアの形状もゴシック様式の特徴である尖塔アーチ形
大きな窓にはステンドグラスが配置されています
塔の中から見上げたところ。段違いになっている窓に設計者の意図が覗われます。
「大井牛肉店」神戸の外国人居留地や寄港する外国人向けに商売していた肉屋さんで、2階では牛鍋店を営んでいたそうです。木造でコリント式の柱や壁は白漆喰で仕上げられている。
2階は実際に牛鍋店になっていてメニューサンプルが飾られていました。初めて明治村を訪れてからずいぶん経ちますが、自分には敷居(お値段)が高くて一度として食べたことがありません。
明治村名物「小倉ドッグ」 コッペパンに小倉餡とホイップクリームがはさんであります。マーガリンを塗ったトーストに餡子を乗せた「小倉トースト」の派生版。パンは軽く焼いてあって食感も味もナイスです。
「二重橋飾電燈」皇居の二重橋(正門鉄橋)に計4基立てられたもののひとつ
「鉄道局新橋工場」内に展示されていた明治天皇御料車と昭憲皇太后御料車
車内の豪華絢爛なソファー
「東山梨 郡役所」当時山梨県にあった9郡の内のひとつ、東山梨郡の役所。
2階ホールには令和4年度明治村写真コンテストの入賞作品が展示されていました。
金沢で開校した「第四高等学校物理化学教室」の廊下
講義室
講義室の机に彫られていた落書き、現在の学校には木の机がないのでこんな真似はできませんね。
入村してからあっという間に3時間が過ぎました、腹ごしらえはこちらのお店で。
きしめん(730円)と愛知県半田のブランド豚「あいぽーく」を使った串かつ(350円)、なかなか美味しかったです。
「第四高等学校武術道場 無声堂」当時の学校体育は体操が主だったが、嘉納治五郎が創始した「柔道」が下地となり、日清戦争後に正課外として武道を習わせることが認められ大学・高校の活動として普及、その後全国的に体育に武道を取り入れるようになったとのことです。
柔道場と剣道場 柔道場の床にはスプリングを設置して弾むようになっていて、剣道場の床には溝が掘られ反響を良くする工夫がされているそうです。これだけ広い室内に柱が無いのは洋風小屋組屋根によるもの。
建物のいちばん端にある弓道場
「日本赤十字社 中央病院病棟」西南戦争の際に敵味方の区別なく救護に当たった博愛社が日本赤十字病院の前身だそうで、明治天皇から建設費が下賜され完成したのがこちらの病院とのことです。
移築されたのはそのほんの一部分(赤で示されたところ)
この廊下は元々北向きだったので、明るくする為ガラス面積が大きくなっているそうです。明治村では敷地の関係で南向きに復元されたので、すごく明るくて開放的でした。
病室は広々として清潔な印象
病院食サンプル
当時の担架
手術器具の展示
「宇治山田郵便局」のポスター。お洒落な円形部分は”公衆室”と呼ばれ受付になっています。移築前は伊勢神宮外宮前にあったそうです。4年間におよぶ保存修理工事で、耐震補強、銅板屋根の葺替え、内外装の全面改修及び切手倉庫を創建当時の煉瓦造に復原するなどが行われ、2022年にリニューアルオープンしたもの。
ちなみに「宇治山田」とは伊勢市と名乗る前の都市名。”宇治”は伊勢神宮内宮前の地名で”山田”が外宮前の地名だそうです。明治時代の市町村制施行の際に町名決定について紛糾の末「宇治山田」に、そして昭和になり周辺町村と合併する際にも名前をどうするかで再び紛糾し、最終的に「伊勢市」と改名されたいきさつがあります。
他県の我々は”伊勢”の名は伊勢神宮があるから付いたと考えてしまいがちですが、そうではなくて伊勢国にある「神宮」だから通称”伊勢神宮”なのです。そのあたりも紛糾した理由のひとつみたい。
こちらが公衆室。窓口がグルリと円形に並んでいます。
1個所だけ本物の郵便窓口で「博物館明治村簡易郵便局」として実際に営業しています。通常の郵便業務と、「はあとふるレター」と名付けて、預かった封書を10年後に投函するという明治村独自のサービスも受け付けています。
公衆室の奥にある元現業室は郵便に関連した展示コーナーになっています。写真は郵便配達用のバイク(スーパーカブ)で、昭和30年代のものです。
これは明治45年(1951年)に登場したポスト
ちょうど名古屋駅近くに居たのでもう一度SLに乗って東京駅へ。転車台の故障で上りは後ろ向きで客車を引っ張ります。動画は連結作業の様子。
下りで乗ったのとは別の三等客車「ハフ11」は明治41年製、動態保存されているものでは日本最古だそうです。
「内閣文庫」明治政府の中央図書館で、そのうちの書庫を除く本館と事務棟部分です。石と煉瓦造りのルネッサンス様式で設計者は後に国会議事堂の建設を統括した大熊喜邦。
中には「世界のミニチュア建築」と題した常設展示がありました。(現在は非公開になっているようです)
金沢監獄正門と黒壁が印象的な酒蔵の建物
隅田川に架かっていた五大橋のひとつ「新大橋」。全長180mのうち25mが移築された。関東大震災で他の橋が落ちる中この橋だけが残り、避難路として多くの人命を救ったそうです。無骨なイメージの鉄骨にも優雅な装飾が施されているところに明治の粋が感じられます。
「聖ザビエル天主堂」16世紀に来日しキリスト教の伝道に努めたフランシスコ・ザビエルを記念して京都に建築されたカトリック教会堂。
レンガ造と木造の併用で柱材はケヤキが使われている。各窓にはめ込まれたステンドグラスの透過光がとても美しい。
椅子に当たる光が虹色で綺麗でした。
正面の薔薇窓、色ガラスの模様はペンキで描かれているそうです。
江戸時代の名残を留める芝居小屋「呉服座」は大坂池田から移築されたもの。漢字で”ごふく”と書きますが、当時は”くれは”と呼んでいたようです。
中央に枡席、周りが桟敷席になっていて、2階席を含めて500人ほど収容できるそうです。花道が桟敷席の目の前にあって、芸人とコンタクトが取れる近さになっています。
ちょうど最終ボランティアガイドの時間で案内してもらいました。
枡席から見上げた2階席
こちらは舞台の下にある奈落で中央は廻り舞台を支えている柱です。
提灯に描かれた模様を見ると「5人の福」すなわち「ごふく:呉服」になっていて、これも芸所の洒落なんですね。呉服座は現在も池田と梅田で興業が続けられています。
「菊の世酒蔵」愛知県刈谷市にあった広瀬酒造の仕込み蔵。黒壁と白漆喰のコントラストが素敵です。元々は別の場所にあった穀物蔵を移築して酒造りに使っていたそうです。外観からは全く分からないが、北半分は地下室のある鉄筋コンクリート造りで、展示物の収蔵庫として使用されているそうです。
中は酒造りに使われる道具類の展示がありました。
太い柱と梁がすごい
「金沢監獄中央看守所」監獄の中央にある八角形の看守所と監房の一部が移築されています。
内部中央にある看視室は網走監獄にあったものだそうです。
看守所を中心に放射状に監房が延びていた。
監獄らしい鉄格子
「宮津裁判所法廷」大日本帝国憲法で三権分立が定められ、司法は独立し各所に裁判所が創設された。この建物は下級法廷のひとつ。
法廷内部の様子 上段に裁判官と検事、下段に被告人と弁護士の席があります。検事と弁護人が上下になっているところを見ると、初めから有罪であると決めつけられてるみたい。現在とは随分様子が違いますね。
弁護士の人形 着ているのは当時定められていた法服です。
「高田小熊写真館」ハイカラでお洒落な外観
スタジオは光量変化が少ない北側の屋根をガラス張りにして自然光が入る設計。
前回訪れた際には無かった小部屋部分、寄贈主の要望により写真館の両側が最盛期の姿に増築されたようです。
ラストを飾るのは人気の「帝国ホテル中央玄関」
フランク・ロイド・ライトによる設計で大正時代の建築です。大谷石をふんだんに使った幾何学的な造形が特徴。お披露目の日に関東大震災が起きると言う試練の船出だったそうですが被害は軽微、計らずも建物の堅牢さが証明されました。
玄関(ホワイエ)
クリスマスツリーが飾られていたロビー
吹き抜けにある「光の籠柱」、大谷石とスクラッチレンガで構成されていて複雑な造形になっています。※復元するに当たってはタイルを使用
6角形のピーコックチェア 展示物ですが座わっても良いそうです。
ラウンジ
ラストオーダー近い時間でしたが喫茶室でひといき。ホテルの造形物を眺めながらリッチな気分に浸れました。
展示物を全部見て回ったわけではありませんが、あっという間に閉村時刻になりました。久しぶりの明治村でしたがとても楽しめました。次訪れたならガイドツアーを申し込んでみるのも良さそうだなと思いました。
北口の土産物売り場を覗いてから帰ろうと思っていたのですが、閉村時刻と同時にブラインドが閉じられてしまいました。せめて30分くらいは延長営業して欲しいですよね。
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