【近江鈴鹿】岳から旭山~ヒキノ~ノタノ坂 縦走 2022/10/13 [山歩き・ウォーキング]
稜線上にある鉄塔からの眺め
ルート図とヤマレコ記事のリンク
【東近江ちょこっとバス時刻表】※この山行で乗ったのは「政所線」
http://www.city.higashiomi.shiga.jp/0000007636.html
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滋賀県と三重県の県境に連なる鈴鹿山脈ですが、近江側には前衛の山がたくさんあります。歩く人が少ないマイナー山が多いのですが、この記事の山々も同様です。
この縦走計画は4年前から温めていましたが、これまで実現しませんでした。というのも、岳からノタノ坂間は距離が長いため、よほどの健脚でない限り縦走する場合はグループ山行で置き車をするのが一般的です。
平日にこのようなマイナー山行に付き合ってくれる仲間が見つからず棚上げされていましたが、近年同コースを歩いたレポートに、地域バスを利用した縦走が載っているのを見て、これなら私達にもできそうだと思いチャレンジしてみることにしました。
道の駅「奥永源寺渓流の里」の、国道を挟んでお向かいにある駐車場からスタート。10月半ばで日の出が遅くなり、午前5時だと真っ暗です。ヘッドランプを点灯させて歩きました。
”きわだちょう”集落の奥に登山口があります。
写真のお宅の右にある道へ入ります。
東南アジア系のカラフルな祠にお地蔵様、本日の安全を祈願。
黄和田城の解説板
害獣捕獲檻の所から段々になっている石垣の横を行き止まりまで進むと谷間に突き当たります。右手に祠がある所から尾根に取り付きました。途中から山腹のトラバースになり、それが終わると斜面のジグザグ道に変わり、再び尾根に乗った地点に写真のL177鉄塔があります。日本コバが目の前に見えました。
もう一つ鉄塔を潜るといったん斜度が緩むが、山頂直下の標高差100mが激急斜面となります。
急なだけではなく、崩れやすい地質な上に浮き石が多いです。立木に掴まらないとズルズル滑って登るのが大変でした。上部にトラロープが付いていたので使わせてもらいました。
山頂近くになると現れる大岩。
急斜面が終わると広い山頂台地に着きます。写真は最初のヌタ場です。
2つ目の水たまり(ヌタ場)は結構大きかったです。昔は雨乞いの山として崇められていた様ですが、この水たまりも関係しているのかもしれませんね。
こちらが岳の山頂です、木々に遮られて展望はありません。
三等三角点「黄和田:781.28m」あり
今年(2022年)に付けられたばかりの新しい山名板に鹿角アクセサリ
岳山頂から北へ縦走開始。アップダウンを繰り返して標高720mピークにあるR179鉄塔に出ました。
東を眺めると鈴鹿主稜線にある静ヶ岳が見えます、この場所から眺めると端正でかっこいいです。
西には日本コバと遠く比良の山々が見えました。
静ヶ岳の右隣には大きな竜ヶ岳
北には御池岳と藤原岳の各ピーク群
730m独標ピーク。尾根通しはこの案内板を左折(R181方面)。右へ行くと一旦谷間に降りるが後で合流できる様です。
L181鉄塔に到着。
鉄塔のすぐ北、この鞍部が山ノ神峠の様です。
峠の表示板。参考書によると、昔この地点には山ノ神が祀られていたそうですが、今は峠を西に下った所に祠があるようです。
峠の南東側は滝谷源頭部になります。
鞍部から谷間を50mほど下ると水が湧き出ていました、ここが滝谷の源流で、南に向かって直接愛知川に流れ込んでいます。
峠から斜面をひと登りしてL182鉄塔。
稜線を北上するに連れて大きくなっていく静ヶ岳。
振り返ると歩いてきた岳が見えました。
モミの大木
東山・キトラ方面との分岐地点に置かれていた石像。
通り過ぎてしまいそうになりますが旭山の山頂です。
山名板は岳と同じ仕様。
三等三角点「脇ノ谷:755.77m」 ”脇ノ谷”とは旭山の北に突き上げている谷の名前です。
標高720m付近のL・R185鉄塔標識地点、間違えて真っ直ぐ進んでしまい戻ってきました。ここは向かって右が正解。
尾根を外れ山腹道に変わる地点。
落ち枝が多いですが歩きやすい尾根です。
危うく踏んづけそうになったヘビ、まだ幼体ですが種類は何でしょうか?
またすぐに山腹道、急斜面の細道は滑落に注意。
ここは右のL187方向へ
L187鉄塔に到着
鉄塔から南方向、三池岳・釈迦ヶ岳・御在所岳などを望む。
続いて広い切り開きになりました。
こちらがL188鉄塔、西に天狗堂の頭が見えました。
L188鉄塔からひと登りでヒキノに到着、ここから先は以前歩いた事があります。
三角点の横に山名板。5年前来た時に木にぶら下げてあった山名板は見当たらなかった。
三等三角点「君ヶ畑:843.84m」前回は雪に埋もれていたのでこの日が初見になります。
山頂の気温は17.5℃でした。風がなく、上り坂だとこの温度でも暑いです。
ヒカゲノカズラの胞子嚢。
ヒキノでたっぷりランチ休憩のあと出発、時間に追われて気は急くが体がついてきません(^^;
L190鉄塔
鉄塔からの眺め。一番高いのがヒキノです、随分遠くになりました。
次のL191鉄塔から見た天狗堂です。
前方に見えるR190鉄塔ピークは眺めが抜群なのですが、急な坂を見てギブアップ。左へエスケープしました。
ようやくたどり着いたノタノ坂、でもノンビリしてはいられません。
小又谷林道合流地点まで続く谷間の細道は油断禁物。
ここまで随分長く感じましたが、堰堤前の鉄橋を渡ればすぐに小又谷林道です。
脇目も振らずひたすら小又谷林道を進む。
洗い越し地点 ジャブジャブ入ったら右足のスパッツがズリ下がっていて浸水(泣)
急いで急いで!
小又谷出合で御池林道に合流、駐車場に車は一台も置いてありませんでした。
距離にして約4キロ弱、道路脇に咲く秋の野草を眺めながら君ヶ畑のバス停を目指して歩きます。
アキチョウジ
ノコンギク
アケボノソウ
そしてベニバナボロギク、綿毛の季節は花が上を向くんですね。
先日のニュースによると、来春のスギ花粉の飛散量は多そうだとのことです。
イヌタデ
何とか最終バス発車20分前に君ヶ畑バス停にたどり着いてヤレヤレ。誰にも会うことのない静かな集落でした。
東近江「ちょこっとバス」に乗車(200円)、乗客は私達2名のみでした。
約20分で黄和田に到着、もし歩きだったら最低2時間は掛かったでしょう。
日枝神社にお礼参拝、朝はまだ暗かったので帰りに寄りました。
鳥居の向こうにそびえる「岳」
無事駐車場に戻って帰り支度をしていたら、スパッツの内側にヤマヒルが付いていました。肌の露出がないように対策していたので、実害はありませんでした。
駐車場で咲いていたミゾソバ
道の駅のべゴニア・センパフローレンス、シュウカイドウの仲間です。
道の駅でお土産を購入して帰ります。薪が売っていたのでついでに購入しました。左がヒノキで右がコナラです。広葉樹の薪は針葉樹に比べて密なので、量が少なくても右のコナラの束の方がずっと重いです。
【あとがき】
この稜線は5年前、早春の残雪期にノタノ坂からヒキノ間を歩いた事がありますが、鉄塔からの眺めが良く爽快なハイクが楽しめたと記憶しています。本来なら秋本番の紅葉時期に歩くのがベストですが、最近まともな山歩きをしていなかったこともあり、久しぶりに鈴鹿へ出かけてきました。
地域バスの運行本数や時刻の関係で、どうしても君ヶ畑発の最終バスに乗らなくてはなりません。健脚とは程遠い夫婦なのでマイペースで歩きたいところだったのですが、時間に追われるハイクになってしまい正直キツかったです。
スタートからしてすでに予定の20分遅れ、道中必死に歩いて20分遅れを維持したままノタノ坂までたどり着きましたが、そこからは口数かグッと少なくなり、ひたすら歩くのに集中しました(^^;
久々の鈴鹿だったのに、じっくり楽しむことができませんでしたが、鉄塔下からの眺めに励まされながら、なんとか歩き切れたので達成感は十分です。とにかくバスに間に合ってホッとしました。
【山メシクッキングコーナー】
まず初めにIKEAの「おままごと」用鍋を使い、固形燃料でレトルトご飯を蒸す。通常は電子レンジで温めるか湯煎しますが、山の上で大量のお湯は沸かせないので苦肉の策です。思ったより上手くいきました。
まず半分に切ったマルシンハンバーグを焼いた後、残った油で目玉焼きを作ります。重そうに見えますがスキレットはアルミ製で軽いです。(コーナン・アルミスキレット)
グレイビーソースの素と水を合わせて温める。熱を加える前に粉末を良く溶かしておかなかったので、ダマになってしまい失敗でした^^; ソースの準備ができたら焼いておいたマルシンハンバーグと絡めます。
蒸し上がったご飯に目玉焼・マルシン・グリーンリーフ・プチトマト・アボカドを乗せれば「マルシンハンバーグロコモコ丼」の完成!
【コース状況】
(黄和田~岳)
集落の奥にある害獣捕獲檻の横から段々石垣の右を進みむと祠があるので、その右手の尾根が取り付き。序盤は急な登りで、途中から尾根を外れてトラバース道を緩やかに登る。その後山腹に付いたジグザグの踏み跡を辿って鉄塔の所で尾根に復帰する。その後は山頂まで尾根を直登する。
2つめの鉄塔を過ぎると一時的に傾斜が緩むが、山頂部直下の標高差100メートルが特に急で木の幹を掴みながら登る。浮き石が多いのでグループ山行の際は落石に注意する。
ピンクテープを頼りに進むが、踏み跡は薄く明確な登山道は無い。落枝が多数散乱しているので注意。急斜面の上部に新しいトラロープが設置されているので利用すると良い。
(岳~ノタノ坂縦走)
植林と2次林が混ざった尾根を北へ進む。尾根が分岐していて間違えやすい地点が複数あるので進行方向に注意。基本テープマーカーを頼りに進むが、当てにならないものもあるので全面的に信用してはダメ。踏み跡は薄く落枝が多数散乱しているので歩きにくい。鉄塔付近を複数回通るが、どの地点も周囲が切り開かれていて展望が良い。
(ノタノ坂~小又谷出合)
急な谷間に斜面をトラバースする様に道が付いている。幅が狭いので滑落しないよう慎重に。堰堤前の鉄橋を渡ると小又谷林道に合流する。その後途中に洗い越し(林道を横切る沢)が1ヶ所ある。季節や天候によって水量に差があるが、防水シューズでもスパッツが無いと上から水が入って濡れてしまう事があるので対策要。
【周辺情報】
(道の駅)
奥永源寺渓流の里
奥永源寺渓流の里
営業時間:9:00から17:30(4月~11月) 9:00から16:30(12月~3月)
休館日:毎週火曜日
(岳:だけ)
黄和田では「岳」・「岳の山」と呼ばれ、愛知川対岸の杠葉尾では「向山」と呼ばれている。
登山口近くに「嶽・お池雨乞山」と書かれた案内板があって、この山にはかつて八大竜王神が祀られていたとのこと。竜神=水神なので、古来より雨乞いの山として崇められていたと想像できる。山頂付近に大きめの水たまり(ヌタ場)があったが、雨乞いと関連があるのかもしれない。
(黄和田:きわだ)
八風街道の要衝にあり、旧街道は現在の黄和田集落の中を通っていた。黄蘗(キハダ)が叢生していたのでこの名になったとも言われる。
ちなみに「八風」とは、”八方から風が吹きあたることに由来する”とされる。
また鈴鹿は1000m前後の山々が連なっており「鈴鹿八峰」ともいわれ、「八峰」が「八風」に転じたものという説もあり。
(黄和田城)別名 黄蘗城(きはだじょう)
現地の説明書きによると、南北朝時代に八風街道を押さえるため小倉氏によって築かれたとされる。室町時代後期、京極政経(京極大膳大夫政高)が同族との内紛で敗走し逃れてきた後に拠点としたお城だそう。
京極氏は宇多天皇の流れをくむ佐々木氏を祖とする氏族で、鎌倉時代から長きにわたって繁栄と凋落を繰り返しながら存続してきた。江戸時代には大名に、明治時代に至っては華族となった名門の家系。
(日枝神社:ひえじんじゃ)
木地師の祖とされる惟喬親王が当地に原野開墾を謀られ田地数町を拓き、産土神として日吉山王社分霊を勧請し、社殿を創立したと伝えられる。明治維新前は山王大権現と称し、明治初年現社号に改められた。
正月早朝より当番神主宅にて「ちん」と呼れる14種の動物・植物を模した揚げ餅菓子を作って神社に献上して五穀豊穣を祈願する祭事が行われる。(滋賀県神社庁より)
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