【鈴鹿】雨乞岳 甲津畑から西尾根~奥の畑谷周回 2022/4/20 [山歩き・ウォーキング]
清水頭から眺める雄大な雨乞岳
新型コロナウイルス感染症の影響もあって、なかなか鈴鹿の山へ出かけられずにいましたが、この日は久しぶりに雨乞岳を歩いてきました。雨乞岳の登頂は2年半ぶり、清水頭は3年半ぶりになります。
雨乞岳の山頂へは初めて使う西尾根で登り、帰りは南雨乞を経由して清水頭へ行き、奥の畑谷へ降りて沢沿いを下るルートで周回しました。
滋賀県東近江市・甲津畑集落へ向かう途中の風景。
鳴野橋手前の道路脇に駐車して、岩ヶ谷林道起点からスタート。「飛び太くん看板」は無くなっていました。
黄色が目立つヤマブキの花。春を迎えて林道法面には色々な花が咲いていました。
マムシグサの花。テンナンショウの仲間は種類が多く、なかなか名前が覚えられません。
林道は工事中のようで、写真の場所で車両進入禁止になっていました。
少し先へ進むと法面を改修している現場。帰りにもここを通りましたが、この日工事は行われていませんでした。
緩やかな長~い上り勾配が地味に辛い。
ミヤマキケマン 名前と違って低地でも良く見かける野草です。
コバノミツバツツジ この界隈で多くは見かけませんでした。
シロバナネコノメ ネコノメソウの仲間で白い萼片なのは他にハナネコノメがあるが、分布域と花粉の色に違いがあるそうです。
堰堤に着生するシロバナネコノメ、湿った環境を好む。
樹種は分からないが、これから新芽を出そうとしている落葉樹。この時期はわずかに赤みがかった灰色をしている。
近江と伊勢を結ぶ千種街道、織田信長もこのルートを通ったと言われている。朝倉攻めで越前の戦に赴いていた信長は、浅井長政の裏切りを知り京まで撤退し、京からこの千種街道を通って命からがら尾張まで戻ったと伝わります。信長が狙撃されたと伝わる場所が今もこの街道沿いに残っています。
「桜地蔵尊」名前の由来は祠の横に桜の木があったからとのことです。かつて存在した鉱山関係者がお堂を奉納したと説明書きにありました。
甲津畑避難小屋
何ヶ所かこうした木橋を渡ります。きっと昔から何度も架け替えられてきたのでしょうね。
「ツルベ谷出合」大峠に出るにはここを右に入ります。”古屋敷跡”の案内板がありますが、参考書によると、このあたりはかつて”塩津”と呼ばれており、伊勢から運ばれてきた塩を近江の商人が受け取る場所で、茶店などがあったとありました。
谷間に残る残雪、昨年度の冬は各地で積雪が多かったですね。
斜面が崩れ石屑で埋もれた地点。
「蓮如上人御旧跡」浄土真宗布教のために近江国に赴いていた上人が、他衆徒に追われこのあたりの炭竈に隠れて難を逃れたという伝説。現在は避難小屋があります。
いかにも旧街道と言った雰囲気。向こうから木枯し紋次郎がスタスタと早足で歩いて来そう。
街道沿いにそびえるシデの巨樹。幹の彫りの深さと根張りの力強さが巨大彫刻のようです。
幹周りは目通りでおよそ463cm。ウエストがキュッとくびれた樹形なので思った程太くなかったです。でも迫力は数値以上。
「イヌシデ」とのことですが、シデの仲間でこのような巨樹は珍しいとのことです。
石垣が残る地点から雨乞岳西尾根に取り付く。かつてこの辺りには「向山鉱山」があって銅を採掘していたそうです。藤切谷が”渋川” と呼ばれる理由は、採掘した銅で川が汚染されたせいではないかとのことです。
分かりやすい尾根筋まで斜面をトラバースし、ここから尾根に取り付きました。
序盤は標高差にして120mの急登です。
鈴鹿は昔から人との結びつきが強い山域だったのでしょう、どんな場所にも人の痕跡が見つかります。
急登が終わり、いったん平になった地点で一息ついているところ。ここで尾根が分岐しています。
樹間から見える三角形のピークはイハイガ岳。
標高850m地点にヤブレガサのミニ群生がありました。
タムシバの花の向こうに見えるのは杉峠の頭。
コバ地(標高1050m付近)の水たまり。
標高1100mを越えた辺りから草地に変わって笹が出てきました。
笹原になってパッ!と視界が開けた地点、綿向山が正面に見えました。山の向こうは琵琶湖です。
イハイガ岳(964m)を見下ろす高さになってきました。
谷間に下る小尾根に立つ木々は新緑の季節に向けて準備万端の様です。
標高1180m尾根の頭からの眺めるイブネ。秘境と呼ばれていた山も、今は登山者がたくさん入る様になりました。
このあたりから山頂までは緩やかな笹尾根が続く。
残雪ワッペンを貼った清水頭、後であそへ行く予定。
雨乞岳の西にある水たまり。
ちょっとグロテスクですが、ヒキガエルの卵塊がたくさんありました。はたして干上がる前に無事カエルになれるのだろうか?
綿向山を背に笹の海を泳いでいるところ。明確な踏み跡はありません。
山頂すぐ北にある大峠ノ沢(オオタワノサワ)に到着。枯れることのない池は雨乞岳の名前の由来になったとされる。
池からわずかで雨乞岳の山頂です。
三等三角点「雨乞嶽:1237.71m」
ここから笹の中へ突入します。
左遠方に釈迦ヶ岳、右手前がお隣の東雨乞、右遠方は国見岳と御在所岳。東雨乞の山頂には人影が見え、笹の稜線をこちらの雨乞岳へ向かってくる数人のハイカーが確認できました。
背丈ほどの笹を分けて南雨乞へ向かう、足元は良く踏まれています。
鎌尾根ビュートレイル、真下は稲ヶ谷です。
下って来た笹尾根と雨乞岳山頂を振り返る。
南雨乞のピークは鎌ヶ岳を目の前で眺められる特等席。
長年の風雪に耐え、角が丸くなってしまった標識。
南雨乞から西方向の尾根を下ります。途中まで笹に覆われた尾根沿いの山腹道でしたが、尾根芯に乗った辺りから笹が消えて一気に視界が開けました。
ポツンポツンと現れるハルリンドウの花。
清水頭(ショウズノカシラ)直下まで来ました、谷間には残雪がありました。
清水頭から眺める雨乞岳は実に雄大です。この景色を眺めるだけでもを訪れる価値があると思います。
毎度ワンパターンですがカップ麺ランチ。風は穏やかで眺めは抜群、ゆったり過ごすことができました。
尖鋒「鎌ヶ岳」
南鈴鹿の雄、双耳峰の「仙ヶ岳」
眼下に野洲川ダム湖
残雪とギザギザの鎌尾根
奥の畑峠から稜線を離れて斜面を急下降、これから歩く奥の畑谷の様子です。
早めに谷間に降りて沢沿いを行きます。
何度か渡渉を繰り返し、歩きやすいところを下っていきます。
沢沿いに立つのは奥の畑の主・シオジの巨木。
人が隣に写ると分かると思いますが、かなりの巨木です。シオジは良質の家具材や建材になるそうです。
幹周り524cm、これまでにteppanが測った木の中では最大でした。
下って来た上流方向を振り返る。鹿が食べないのでバイケイソウがいっぱいです。
”奥の畑”の表現がピッタリな風景。
渡渉して高巻き道に入れば千種街道との合流は近い。
タチツボスミレ この後千種街道に出て往路を戻りました。
ぽつんとフデリンドウの花。
道沿いの法面にたくさん咲いていたヤマルリソウ。
春らしいと言いますか、まるで花見団子みたいな色ですね。
ネコノメソウの仲間 花の形が猫の目みたいなところから名付けられた。
往きは開いていなかったミヤマカタバミ、帰る頃にはお目覚めでした。
駐車地に戻ると車が増えていました。釣り客も混ざって平日でも人気のエリアです。
清水頭から眺める雨乞岳は、三重県側から眺めるのとはひと味違った雄大さがあり、この稜線に座って眺めを見ながら食べるランチは格別な味わいがあります。また、帰りに歩いた奥の畑谷は広々としてなだらかで自然林の雰囲気が素晴らしく、何度歩いても癒やされる場所です。
帰りに立ち寄った道の駅「奥永源寺渓流の里」
登山届提出の啓発を兼ねた珍しい自販機があります。
買い物を済ませ駐車場のベンチでコーヒーを飲んでいたところ、道の駅の方に声を掛けられ自動運転車に体験試乗することになりました。
コックピットの様子、オペレーターを含めて6人乗りです。集落内の生活道路に埋設された誘導線を辿りながら自動運転しますが、障害物があったり、部分的に誘導線を離れたときはオペレーターがマニュアル操作します。
黄和田から杠葉尾まで集落内の道路・片道2.2キロを約30分で往復。
最高速度は15km/hだそうですが、ドアがなくオープンエアなので結構速く感じました。写真は黄和田集落から見上げた「岳:だけ」という山。
道路に埋設された誘導線に沿って動き、交差点では自動で減速します。イレギュラーな事象が起こるとストップしてオペレーターがマニュアルで操作します。
始発停留所に戻って試乗終了、愛知川に架かる蓼畑橋を歩いて道の駅に戻りました。自動運転車が珍しいからと言うより、集落内がどんな様子なのかを知りたかったので乗ってみて良かったです。
道の駅で買ったアマゴの塩焼き。養殖ですが朝〆の新鮮な魚を使ったものとのこと。1000円と高かったですが、とても美味しかったです。
タグ:鈴鹿の山
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