【近江鈴鹿】鍋尻山・リョウシ 妛原から周回 2023/3/15 前編 [山歩き・ウォーキング]
鍋尻山の群生地で咲くフクジュソウ
【駐車地】滋賀県犬上郡多賀町大字河内妛原 道路脇スペース
Mapcode: 101 327 199*42
Googleマップ:https://goo.gl/maps/Y4nV9AGCjDfGrstZ7
今月に入り鈴鹿の山各地の福寿草開花レポートがたくさんアップされています。出遅れましたが私達も福寿草を鑑賞しに鈴鹿山脈の鍋尻山とリョウシへ出かけてきました。
妛原集落の外れ、権現谷林道の脇にクルマを置かせてもらってスタート。すぐ下流の橋を渡って鍋尻山へ向かいました。
Mapcode: 101 327 199*42
Googleマップ:https://goo.gl/maps/Y4nV9AGCjDfGrstZ7
今月に入り鈴鹿の山各地の福寿草開花レポートがたくさんアップされています。出遅れましたが私達も福寿草を鑑賞しに鈴鹿山脈の鍋尻山とリョウシへ出かけてきました。
妛原集落の外れ、権現谷林道の脇にクルマを置かせてもらってスタート。すぐ下流の橋を渡って鍋尻山へ向かいました。
40度近い急傾斜の山腹に付けられた道をジグザグに登って稜線に乗りました。
この日はちょうど下弦の月、良く晴れて綺麗な半月が見えていました。
石灰岩の周りに自生するミスミソウ。
早朝だったせいか?開花した株は少なかったです。
標高500m付近の平坦地はスギの植林になっています。
石灰岩で組んだ石垣、耕作地だった名残でしょうか?
岳ノ畑直下の急斜面はヌルヌルで滑ります。ところどころテープマーカーはありますが明瞭な踏み跡はなく、皆さん思い思いの場所を登っているようです。
ヤマネコノメ
オニシバリ
岳の峠が見えてきました。二次林で雰囲気の良いところ。
鍋尻山とお月様
峠から広い尾根を北へ180メートルほど進むと696m独標ピークでフッキソウが群生していました。名前が示すとおり、昔は妛原の人々が通う耕作地があったとのことで、麓ではこのあたりを「岳ノ畑」と呼んでいるそうです。
フッキソウ(富貴草)はまだツボミ。常緑で低木なのか草本なのか意見が分かれるそう。葉にアルカロイドを含むそうなので鹿が食べないんでしょうね。
岳の峠へ戻って鍋尻山へ向かいます。名前の由来は字のごとくで、鍋(昔のことですから羽釜?)を伏せたときの形に似ているからでしょう。
山頂直下の標高差50メートルが特に急です。立ち止まって北を振り返ると大きな霊仙山が背中を押してくれます。
鍋尻山の北斜面には明確な踏み跡はなく、歩きやすいところを登ります。落ち葉の下には石灰岩質の山特有の滑りやすい土が隠れていて、悪戦苦闘の痕跡を見つけては先人ハイカーを労いながら登ります。
何度も足を取られながら、岳の峠から約30分ほどで鍋尻山頂に到着。
山名標識 山頂は平らで広々、周囲には落葉樹がまばらに生えていてこの季節は明るいです。参考書によると、この山では昔雨乞儀式が行われていたそうです。
三等三角点「鍋尻:838.17m」 点名は山名と同じなので、きっと古くから”鍋尻山”と呼ばれていたのでしょうね。
山頂から南麓の「保月(ほうづき)集落」方面へ向かいます、正面に御池岳。
東方向には烏帽子岳(左)と猫耳の三国岳、右端に焼尾山。カメラのセンサーに埃が付いてシミが酷いです(泣)
西には琵琶湖を眺めることができます。
山頂から南へ下って、ちょうど鍋底の角あたりに福寿草の群生地があります。
開花のピークは1週間前くらいで最盛期を過ぎていましたが、それでも綺麗な花達が待っていてくれました。
すでに花が散って実になっている株もありました。
色と言い、大きさと言い、早春にこれほど見栄えのする野草は他にはありませんよね。
下山途中のフッキソウ群生地、ここもまだツボミでした。
写真の鞍部を右へ下れば、
保月の鍋尻山登山口、こちらからだと40~50分ほどで登頂可能です。
保月八幡神社に参拝。ここ保月は現在廃村となっていますが、定期的に元住民の方が住宅などの手入れに訪れているようです。
脇ヶ畑小学校跡地 明治時代(1889年)に杉・保月・五僧の三地区が合併して脇ヶ畑村となったが、昭和30年(1955年)に多賀町と合併し脇ヶ畑の地名は消滅した。現在は3地区ともに廃村となっている。
”保月:ほうづき”とはなんとも風流な名前ですが、五僧峠を跨いで伊勢と近江との街道筋にあり、明治時代には300人ほどが住む村であったそうです。
小学校跡地横の丘の上に新しいコンクリート土台が造られていて、この奥の広場にも新しく砕石が敷かれていました、もしかして登山者用の駐車場やトイレとかだと嬉しいけど違うだろうな…
集落内でも福寿草がたくさん咲いているのを見かけました、意外ですが鍋尻山の群生地より見ごろです。
福寿草に囲まれた戦没者慰霊碑 日露戦争・支那事変・第二次世界大戦それぞれの戦没者の名前が刻まれていました、こんな山奥にも召集があったのですね。この記事を書いている現在、ウクライナではロシア侵攻による戦闘が泥沼化しています。早く終結して欲しいと願うのみです。
照西寺の教訓書きは新しいものでした。ほんとに山歩きばかりで度しがたい私^^;
照西寺の後ろが鍋尻山です。
お寺から南へ、墓地横の谷間を下ります。
小谷沿いの急斜面を適当に下ってアサハギ谷脇の林道に着地、下流へ向かいます。
アサハギ(朝萩)谷、南にある高室山が源流です。
橋を渡って林道アサハギ線を下ります。
林道沿いの残雪。
霊仙山の近江展望台が見えました。
権現谷が近づいてきたらUターン。
落岩橋を渡って左へ権現谷右岸の林道を下る。右は五僧峠経由-時山と、大君ヶ畑へ行けます。
アサハギ林道に入ってから約2.8キロ40分、白谷出合にある白谷橋に到着しました、ここからリョウシの稜線へ取り付きます。
ひとまず前編はここまでです、続きの後編はこちらをクリック→https://teppan2.blog.ss-blog.jp/2023-03-20
タグ:鈴鹿の山
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