【奥三河】浦川から大入廃村探訪 後編 2022/10/30 [山歩き・ウォーキング]
大入廃村集落の北東、直線距離にして約850mの山中に残っていた石垣
愛知県東栄町東薗目地区にある「大入集落跡地」探訪記事の後編です。
前編記事はこちらをクリック!→https://teppan2.blog.ss-blog.jp/2022-11-02
後編は古い地形図に描かれていたという(謎の建物マーク・上図
さん資料:「大入」より引用)地点へ行くため花山神社から支尾根を登って離山に接続する主稜線を目指すところからです。
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後編は古い地形図に描かれていたという(謎の建物マーク・上図
花山神社は集落跡地北側の支尾根の頭にあります。その尾根を東へ登って離山主稜線へ向かいます。お墓のある鞍部からすぐに急登になり、写真の地点で集落跡から続く踏み跡に合流しました。
振り返って見た合流地点、右後方から尾根を登ってきました。左の山腹道が大入集落跡地から続いています。
鞍部からまた急登ですが、つづら折りに道が付いていました。
尾根芯を辿るのではなく絶妙な巻き道になっています。集落跡から続くこの道は謎の建物マークの地点に行くために付けられた道かもしれません。
途中で道を逸れて尾根上の小ピークへ寄り道。
三等三角点「丸山1:803.40m」が埋まっています。初版「こんなに楽しい愛知の100山」に載っていた「803ピーク」がここです。改訂版の「愛知の130山」ガイドブックでは選外になって掲載されていませんが、なぜ100山に選ばれたのか?単なる尾根上の盛上りに過ぎませんでした。
三角点近くに置かれていた”803”と書かれた石。
さらに支尾根を進んで写真の地点で離山から続く主稜線に乗りました。ここはいったん北方向(向かって左)へ進みます。(kameさん撮影)
標高770m付近の鞍部から左の山腹に踏み跡が付いていたので、そこを辿ってみることに。(kameさん撮影)古い地形図に描かれていた破線の道とほぼ一致しているようですね。
鞍部から距離にして約500メートル、標高差にして80メートルほど下った先に、(kameさん撮影)
支尾根が平坦になったあたりの標高650~700mの地点にしっかりとした石垣が現れました。ここが古い地形図に載っていた謎の建物マーク地点に違いない。
石垣は何段か造られていて、水田の跡ではないか?とのことです。
錆びた羽釜や、
一升瓶や線香立てなども残されていて、生活の臭いがする場所でした。建物の跡は見つかりませんでしたが、ここで人が活動していたことは確かなようです。
謎の住居マーク地点を後にして再び主稜線へ。大きな凹みはおそらく鹿の寝床でしょう。
鳥獣保護区標識のところで主稜線に復帰。ここからさらに北へ、今年5月に登頂したピークまで行ってみます。
しばらくは鼻歌交じりで歩ける尾根道でしたが…
残り標高差50mあたりから激急斜面に変わり必死に登りました。
このテープがある地点が今年5月にこの3人で登頂した小ピーク(865m独標)です。これで離山まで歩いたログと繋がりました。
ここでランチ休憩。
再び主稜線を戻って浦川まで一気に南下します。写真は865mピークのすぐ南側の鞍部から登り返しているところ。こんなに急坂なのに標高差10m未満のため地形図では起伏が表せません。
登り返してすぐまた急降下。滑り落ちるように下って行くと、あれっ?見覚えのないヒメシャラの木が現れました。広い尾根でしたから、いつの間にか西寄りにズレていた様です。トラバースして修正。
往きに通った大入集落への分岐地点まで戻ってきました、ここからさらに主稜線を南下します。
熱田神宮の杭。遠く離れたこの地を所有する理由はなんでしょう?
この辺りからアセビが繁ってモジャモジャ。足元が見えず尾根通しで歩くのが煩わしくなってきます。
次は「王子製紙」の社有林標識。木材を消費するだけでなく、こうしてちゃんと森林資源の保護、育成もしていますよ!というアピールをしているんですね。
707m独標ピークの手前あたりの岩が集まっていた地点。P707から先は尾根なり行くと川合方面に降りてしまうので間違いなのですが、下る方向を確認するのに手間取りました。
標高650m小ピーク、このピンクテープがありました。ここには東側を巻く様にハッキリとした踏み跡が付いていますが、そちらへ行くとやはり川合方面に降りてしまうのでピークを乗り越えて西方向へ下ります。
”山に白”ペイント地点。基本ピンクテープを追って下りますが、尾根が複雑に分岐しているので方向を間違わないようにしなければなりません。都度スマホGPSで現在地を確認しました。
標高500m独標ピーク手前の鞍部に着きました。ここはピークに登らず東側の巻き道へ入りました。
ここからは明瞭な道になります。
何度も倒木を跨ぎながらの道。
標高460mピークの登り。手前の鞍部から西側に巻き道があったのですが、崩落情報があったのでピークを乗り越えることにしました。(kameさん撮影)
テープが錯綜してどこを下れば良いのか分かりませんが適当に下って行くと、(kameさん撮影)
佐久間西幹線No15鉄塔に出ました。
ここがこの山旅唯一の展望地です。
奥三河の盟主「三ッ瀬明神山」が見えました。
隣の鉄塔、ちょっと変わった形ですね。
鉄塔からは尾根西側の山腹に付けられた快適な管理道を下る。
神社の横を通過。
鳥居の手前で山道は終わり、安心して歩ける舗装路になりました。
手入れが行き届いた茶畑に出ました。ネットでこの付近の地図を見てみると、近くにヘリポートがあったみたいです。
麓の小田敷集落が見えてきました。
集落から見える三遠南信道の浦川IC。
小田敷橋を渡って国道473号線へ。
橋から下流方向、中央の山はキャンプ場から見えていた菖蒲根山です。
美しい大千瀬川、上流の青い橋を渡ればゴールです。
手前の導水管は豊川用水の水源安定確保のため、佐久間ダムから引かれている水路です。天竜川水系から豊川水系へ越県して水資源を融通しているんですねえ、初めて知りました。
「天竜川からもらい水」をいただくお話し↓(愛知県のWEBページ)
https://www.pref.aichi.jp/site/toyogawabiyori/tenryu.html
とうえい温泉で疲れを癒やしてから帰路に着きました。
(あとがき)
昨年計画した廃村探訪ハイクですが、今年2月の新聞にこの「謎の建物」の痕跡を探し当てた方の記事が載ったことからSNSにも現地に行ってみたというレポートがチラホラアップされるようになり、私達も出かけてみようということになりました。
そこで今年5月にkameさんと3人で新豊根ダムから廃村と離山をセットで歩こうと出かけたのですが、途中県道の大崩落地点の通過が危険そうだったので回避、支尾根をよじ登り離山の周回ハイクだけに終わってしまったので、再チャレンジとなったのが今回の山行です。
実際に行ってみると人が住んでいたなんて信じられないような山深さで、隣村まで行くのも山越え谷越えの1日がかりとなる様な場所、一体どうやって生計を立てていたのだろうか?と思いました。もっとも、こんな山奥に住まわなければならなかった理由など今は知る由もありませんが…
謎の建物跡地と思われる地点にはしっかりとした石垣が何段か残っていて、水田の跡ではないか?とのことです。線香立て、羽釜、一升瓶などが残置されていて、間違いなくここで生活していたと思われる痕跡が確認できました。山の斜面に水田を造る場所は限られているので、集落から離れたこの場所に水田を開墾して、泊まり込みで作業するための建物があったのかもしれませんね。
時は平安時代、追っ手の目の届かない不便なこの場所まで逃れてきて、生きると決めた覚悟は並大抵のものではなかったでしょう。千年もの間頑張って生活してきた子孫も移住し、残された村は今、森に返ろうとしていました。
(コース状況)
案内表示はなく踏み跡不明瞭な地点多数。
離山から続く主稜線を南下する際は、分岐する尾根が多くルートファインディングを要す。歩く際には地形図・コンパス・GPS機器などを参考にすることを推奨。アセビが茂っていて足元が見えず、尾根通しでは歩き難い地点あり。
(周辺情報)
(周辺情報)
・浦川キャンプ村 スタート地点まで約2km(クルマで5分)
Googleマップ:https://g.page/urakawacamp?share
静岡県浜松市天竜区佐久間町浦川3454-12
【日帰り入浴】
とうえい温泉 花まつりの湯
毎週水曜定休
・鳳来ゆ~ゆ~ありいな(浦川ICより車で25分)
毎週火曜定休
タグ:愛知のお山
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